森重流砲術の流祖、沼靭負都由は若くして周防三田尻の村上蔵人に古伝三島海戦術を学び、砲術諸流の奥義を極め寛政七年に「合武三嶋流船軍学」を創始しました。
享和三年に若年寄京極周防守の推挙により幕府御書院番与力となって二百石を賜わり、文化四年には蝦夷地火術取制御用を拝命し多くの功績を挙げたため、京極周防守はこれを高く評価し、武名の森重を本姓とし流名も「森重流」とするよう命じました。
家督を継いだ森重都光は、西洋式砲術の近代的な所作を研究し新しい砲形や近代的な銃陣法による集団火術を創作し、集団軍事訓練を可能とする独自の森重流砲術を大成しました。
上杉藩は越後で日本海を差配する水軍王国でしたが、関ヶ原戦の敗戦によって海のない米沢に転封されました。上杉鷹山は藩士に森重靱負から三嶋水軍学と大砲を学ばせ、明治になってその砲術士達は戦艦三笠の砲士となって活躍し、米沢は海軍大国と称されました。
森重流砲術は日本の歴史に、大きな影響と貢献を残しております。
【活動】
・稽古会(月次定例)
・演武会
府中大國魂神社 (6月)
靖国神社古武術奉納祭 (9月)
品川宿場祭り (9月)
群馬県赤城神社時代祭り (10月)
町田市町田時代祭り (10月)
明治神宮古武術振興会 (11月)